4 3月

「心の糸」

我々の小宇宙では、愛が「個」の人間性回復へのとても大切なテーマとなる。
ドラマでよく聞くセリフがある。それは、「私がこんなにあなたを愛していたのに、私を裏切るなんてゆるせない。絶対にゆるさないから、あたなを・・・」というフレーズである。
ここで私は、「裏切る」というところに重点をおかないで、二つのテーマが脳裏に印象的に残る。
一つ目は、愛に「尺度」があるのか。つまり、限界があるのか。
二つ目は、「ゆるす」・「ゆるさない」という二極化されることが愛なのか。
前者の「尺度」=「限界」ある愛が愛なのかという「個々」の問いかけには、「NO」と答える「個」である。
後者の「ゆるす」・「ゆるさない」の二極化される愛が愛なのかと同じく問われるならば、「NO」である。
今日は、特に、後者を中心に心と心の対話としてみたい。
「ゆるす」・「ゆるさない」の二極化された心の葛藤で傷つくのは、誰なのか。それは、己自身ではないのか。そこからの解放、つまり、存在全体の傷を縫い合わせる心の糸をもってして、人間性回復への道のりを軽やかなステップで、第一歩を踏み出すエネルギーがうまれてくるのではないだろうか。
「個々」の傷口を今以上にひろげないために、「個」の結論を急ぐならば、切に、次のように伝えたい。
「己が己自身をゆるすことである」
それ以外に重ねるロゴス(ことば)はない。